特集1『色彩から読み解く「源氏物語」』をめぐって

~登場人物のイメージを美しいビジュアルで表現した画家~

村西恵津さん(イラストレーター・墨彩画家)

6月に出版された江崎泰子の新刊『色彩から読み解く「源氏物語」』に、美しい挿絵を添えてくださった、村西恵津さん。和紙と墨を使った作品は繊細かつ華やかで、平安のイメージにぴったりと評判です。
今回は、「色彩学校」1期修了生でもあり、現在は「墨彩画クラス」の講師でもある村西さんの仕事場を訪ね、『源氏物語』をビジュアル化するにあたっての工夫や、お仕事のこと、これまでの人生についてなど、つれづれなるままにお話しを伺いました。(インタビュー・構成 江崎泰子)

『色彩から読み解く「源氏物語」』(江崎泰子著・亜紀書房)色と心を軸に雅な王朝物語が楽しめる1冊。村西恵津さんが挿絵を担当
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光源氏をどう表現するか、難しかったです

江崎 今年のNHK大河ドラマの主人公が紫式部でもあり、今、『源氏物語』がブームになっていますが、私はこの物語には色彩が溢れていること、それも主人公の心理に合わせて意図的に色が選ばれていることに着目し、長年、研究してきました。
昨年、それを本にすることが決まり、内容が視覚的に伝わるような美しいビジュアルを載せたいと編集者と相談していたところ、それなら村西さんに絵を描いてもらうのがもっとも良いのではないかと直観したのです。私の中では、源氏物語の世界を伝えるのには、和の色遣いとしっとりとした味わいをもつ村西さんの作品以外ないのではないか、と。
それで、お願いしたのですが、村西さん自身は今回のお仕事、いかがでしたか?

村西 ぜひ、やってみたいと思いました。もともと和紙や墨を使った作品を作ってきたので、その感覚を活かせそうだと積極的な気持ちで取り組むことができました。 とくに心がけていたのは、色を美しく出したいということと、重ね色目のように何枚も重ねた和紙の質感を出したいということ。あと、普段の作品ではもう少し絵を描き込むのですが、今回はできるだけ抑えてシンプルな線だけにしました。その分、読者の方がそれぞれにイメージを広げてもらえればと思って。

江崎 本の中で私は、作者の紫式部は登場人物一人ひとりに対して内面や性格、人生の変化に沿うように、シンボルカラーを与えているということを書いていますが、今回、村西さんはその内容に合わせて、光源氏と女君たちそれぞれを象徴する色をテーマに作品を作ってくださいました。 制作のプロセスで、とくに感じたことや工夫されたことなどありましたか?

村西 私自身は『源氏物語』を深く読んだことはなかったので、江崎さんの原稿を拝見して、自分なりに各女性たちのイメージを膨らませていきました。
個人的にはもともと緑が好きなので、明石の上に惹かれましたね。明石の上は、苦しい状況にあっても平常心を保ち、しなやかな心で人生を生き抜いた人なのですね。そんな明石の上に作者が緑系の衣装を与えているという指摘は興味深かったです。
あと難しかったのは、光源氏の白。江崎さんから光源氏は白でと指定されて、どんな白なんだろうと悩ましかった。華やかな貴公子のイメージがあったのですが、明るい白ではなく、哀しみの白でもあると捉えなおし、描いてみました。

江崎 『源氏物語』の中のワンシーンの雪と白梅のイメージですね。素敵な作品でした!

運命に翻弄されないしなやかさをもつ明石の上を、緑の柳のイメージで表現(『色彩から読み解く「源氏物語」』口絵より)

父は書道家。私の描くものの根底には、ずっと墨のタッチがあるように思います

江崎 ところで、村西さんは以前から和テイストの作品を作られていたのですか?

村西 それは、父が書道家だったことが影響しているかもしれません。父は会社員として務める傍ら書をやっていて、教えたりしていました。私は小さいときからそうしたものを目にしていたので、書が身近な存在でもあったのです。
中学生のときには水墨画を習いたいと思って、先生を探して習いにいったりしました。そこでは好きに描いていいと言われて何でもやらせてもらい、楽しかった! 墨が性に合っているという感じがしていました。そんな感じで、私の描くものの根底には、ずっと墨のようなタッチがある。
一方、色も好きで、子どもの頃にぬり絵着せ替え人形というのがあって、紙でできた女の子に自分で塗った洋服を着せて遊んでいた。雨の日なんか、もうずーっと一日中絵本のページを立てて、小さな部屋のように囲いを作って一人で着せ替えやインテリアごっこをしていました。小さい頃から色やデザインに興味があったのですね。
それで、美術学校を選ぶときにも、ファインアートではなくデザインのほうを選びました。そのほうが仕事になるだろうと……。若い頃から私にとって絵で食べていくというのは、絶対だったのです。

▲和紙と墨のタッチが特徴の村西さんの作品。
色の部分は、顔彩や水彩絵の具

江崎 最初は、絵描きとして自分の作品を作るというのではなく、お勤めされていたんですよね?

村西 インテリアの内装材のデザイン事務所に就職してデザイナーをしていました。インテリアのことだけではなく、包装紙の絵柄やイラストを描くなど、なんでもやっていた。その後、デザインの世界もデジタル化されていったわけですが、私が仕事をしていたのはパソコンが導入される少し前のことで、当時は何でも手描きでしたから、その経験が独立してからレストランの壁画を描くなどの仕事に活かされましたね。
でも仕事は毎日忙しくて、残業ばっかりの日々。それにだんだん管理職的になっていって、ものを創る喜びから遠ざかっていった。でも、やっぱり私は描くのが好きだったから思い切って退職しました。90年代の初め頃のことです。 不安はあまりなかったですね。「まぁ、何とかなるだろう」という感じでした(笑)。

私は芸術家になりきれない。やはり見る人に喜んでもらえる作品を創りたいです

個展の会場で。作品に合わせた額選びにもセンスが光る

江崎 それにしても独立されて、独りでこの仕事を続けてこられたのは素晴らしいと同時に、大変なことだったと思います。何が村西さんの原動力になっているのでしょう?

村西 そうですね、フリーは不安定だし補償はないし、不安になることもあるけど、「なんとかなる!」でやってきました。実際、デジタルの時代になって、雑誌や広告の仕事はほとんどなくなりましたが、でもじたばたしてもしようがないかな、と。
現在は、自分の作品を作る画家的な仕事が多くなっているのですが、でも芸術家にはなりきれない!(笑)。どういうことかというと、売れなくてもいい、評価されなくてもいい、と思いきれないところがある。やはり見る人に喜んでもらいたい。たとえば展覧会などで、同じ年代の主婦の人がお小遣いを貯めて買ってくれるような、そんなものを作りたいんです。

私の中では、画家とデザイナー2つの要素があるのだと思います。画家は、自分の好きなように作品を作れるけど、デザイナーは相手の期待に応えて喜んでもらえる。求める人のイメージに合ったものを創る喜びがあります。私の中ではどちらも大切な要素です。

「色彩学校」第1期! とても刺激的で楽しい時間でした

1989年に開講した「色彩学校」第1期のパンフレット

江崎 「色彩学校」にいらしたのは、ちょうどその頃ですよね? しかも記念すべき第1期生!

村西 そうですね、まだ会社に在籍していた頃ですが、だんだんと売れ筋がどうのとか流行色を取り入れるとかいう流れになってきて、なんかつまらないなと感じていたのです。ちょうどその頃に「色彩学校」の新聞広告を見て、何だか分からないけど面白そうだなというノリで受講しました。
実際、すごく刺激的で毎回毎回面白くて、たとえば暖色系の心理がテーマのときには「次回は皆さん、赤いものを身に着けてきましょう」なんていうホームワークが出たりする。みんなで色の世界を楽しんで、授業が終わっても帰らないで、近くのカフェで先生方やゲストの方たちと遅くまで喋ったりして、今、思い出しても楽しい時間でした。

江崎 あの頃は多少バブルの余韻が残っていたとはいえ、色彩心理なんてまだ世の中に周知されていないものを学ぼうなんて、好奇心旺盛な皆さんが集まってくれましたからね。職業もデザインやファッション関係だけでなく、主婦や普通の会社員の方、看護師さん、マスコミ関係、モノ作りの職人さんなど本当に多彩でした。
30年以上経った今でもその頃の受講生の方とはつながっていますよ。

村西 私もそうです。あの頃一緒だった人たちと今でも集まって、不定期ですが色を使ったワークショップや色と墨で戯れる会などをやっています。

紫式部は夫を亡くした喪失感から『源氏物語』を書き始めたのですね。私の場合は……

江崎 プライベートなことをちょっとお聞きしたいのですが……。村西さんはパートナーの方をご病気で亡くされていますよね。じつは紫式部も夫が流行り病で突然亡くなり、幼い子どもを1人抱えたシングルマザーだったのです。その悲しみと心の空白を癒す手立てとして『源氏物語』を書き始めたと言われています。
村西さんご自身は、死別後の喪失感や悲しみをどのように乗り越えられたのでしょうか?
また、そのとき何が村西さんの力になったのか、お聞かせいただけますか。

村西 紫式部も夫を亡くしていたのですね、知らなかったです。
私の場合は、彼が亡くなって今年で15年。少し年上でしたから、今、私がちょうど彼の亡くなった年になりました。12年間の結婚生活でしたが、人生の中ですごく良い季節だったと思います。
亡くなった当時は、泣いてばかりいました。今も、乗り越えたり忘れたりは出来ないと思います。だけど、独りになって鬱っぽくなりそうだったから、思いきって引っ越したんです。思い出のない場所へ行き、新しい生活を始めようと……。
それと3回忌を終えて、イタリアへ行ったのも、転機になりました。年を取ったらイタリアで暮らしたいとずっと思っていたので、この機会にやりたいと思っていたことをやろうと、思いきって行きました。2ヵ月間くらいでしたけど、イタリア語を少し勉強して、向こうで絵を学んだり美術館を見て回ったりして、学生風なことをやっていました。その2カ月間はとても充実して、私にとって今でも宝物です。

▲旅好きの村西さんはさまざまな国を訪れ、その印象を作品にすることも

江崎 そもそもパートナーの方との出会いも、運命的というか、ドラマチックでしたよね。
当時、その話を伺って、まるで韓流ドラマみたいって驚いたことを記憶しています。

村西 ふふふ……(笑)。美術の展覧会を見に行ったときに、招待券を2枚持っていたので、たまたま私の後ろに並んでいた人に「1枚どうぞ」と差し上げたんです。それが彼でした。美術館でもなんとなく話を交わして、連絡先をもらった。それでお付き合いが始まったのです。お互い、美術的なものが好きという共通点があり、気が合った。彼は、印刷会社で仕事をしていたのですが、代々、芸術家のご家庭で、私の作品のファンになってくれて、仕事の面でもいろいろとサポートしてくれていました。

絵を教えるようになって、人の輪が広がっていくのが嬉しい

モダン絵てがみ』『よくわかるモダン絵てがみ』(ともに日本ヴォーグ社刊)

村西 あと転機と言えば、彼が亡くなってしばらくした頃から、絵を教える仕事が始まったのも、良いきっかけでした。
日本ヴォーグ社さんから『モダン絵てがみ』の本を出して、講座も受け持つようになりました。そうしたら他でもという話があり、今では5カ所で教室と個人宅でのサロン的な水彩画クラスをやっています。
ひとりで自分の作品を創っているだけではなく、いろいろな生徒さんと接したり、その方たちがまた個展に来てくださって、感想をいただくのも大きい。描いたものを介して話題やイメージが広がったり、人の輪がつながっていくのが嬉しいですね。

江崎 「色彩学校」の墨彩画クラスも、もう10年近くなりますか……。私も生徒として参加していますが、墨の世界だけでなく顔彩を使った色の世界、両方楽しめるのが良いですね。毎回テーマはあってもどう描くかは自由だし、作品にそれぞれの個性が出ていて楽しい!

村西 「色彩学校」の生徒さんは、皆さんすごく積極的ですね。自分らしさを大事にして描こうという意欲がある。そういう生徒さんたちと接し、教えることで私もやりがいを感じています。教室の時間は数時間ですが、人に伝えなければいけないので、自分の準備の時間が必要だし、私もそのために勉強する。それがまた自分の為にもなっていると思います。

「墨彩画クラス」のテキスト。初心者でも気軽に参加でき、墨の世界が楽しめる

好きなことを仕事にするのは当然。
幾つになっても、好きなことは手放さない

村西 私は若い頃からずっと、好きなことを仕事にするのは当然と思ってやってきました。そのために勉強したり努力したりするのではないでしょうか。始めたからには、自分が選んだんだからと極めるところまでいく。何かあっても止めない、諦めない。継続は力なりです。
最近、60代になって思うのは、好きなことを手放さないということ。この年齢になると、皆さん、手放すことが多いですよね。身の周りのモノにしても、趣味にしても、だんだんと引き算になっていく。 でも私は大事にしていることを手放すつもりはありません。仕事はもちろん、趣味で集めているカエルのコレクションにしても、旅行にしても、快適な空間作りにしても……。年齢を理由にそれらを手放そうとは思わない。だから私にとって、“断捨離”なんて無縁です(笑)。幾つになっても自分のカラーを大切にしたいですし、好きなことをやっているとストレスもなく、それが健康にも良いように思います。

村西さんの部屋は、好きな緑をテーマにした素敵なインテリア。カエルのコレクションも楽しいこだわりの空間から数々の作品が生まれる。