【ドイツより】~Part1~

最近、オンラインで絵を見て話す「対話型鑑賞会」を始めました

ヒンツェ祐紀さん(ドイツ在住/「色彩学校」認定 色彩心理講師)

ドイツに移住して3年。北部の小さな街で夫と暮らすヒンツェ祐紀さんは、ここでの暮らしにも慣れ、日本で行っていた子どものアトリエ活動なども再開。今年からは「色彩学校 提携クラス」を始めようと計画していた矢先……コロナの流行が始まった。

ドイツにおけるコロナ流行の始まり

コロナ禍は世界中の人たちが共有していますが、ニュースなどを見ると、どのような影響が及ぼされたかという点では人によってかなり大きな差があるようです。厳しい状況にいる方がいることを思うと、どう言葉を紡いでいいかわかりません。ですから、ここでは、わたしも家族もごく身近な友人たちも健康で、仕事を失うことなく過ごせていること、それから、わたしが見て感じた範囲の“ドイツ”であることを前提に読んでいただけたらと思います。

色彩学校 提携クラス」の研修のために青山にお邪魔したのは、新型コロナウィルスの感染が日本でも広がりを見せはじめた2月25日でした。ドイツを出国した24日は、州内に国内外から数百万人の観光客が訪れるカーニバルのハイライトで、今年も多くの人が訪れました。この時点でのドイツ国内での感染者は数十人、町では人が普段通り行き交い、生活に変化は感じませんでした。イタリア北部で感染が拡大していましたが、まだ対岸の火事といった感じだったと思います。

町の中心部Wermelskirchen(ヴェルメルスキルヒェン)というわたしが住んでいるところ。
ドイツ西部にある人口3万5千人ぐらいの落ち着いた小さな町です。

この頃、ツイートやネットニュースで欧米でのアジア人差別が話題になり、わたしも警戒されているのかなと落ち着かない気分になったのを覚えています。ドイツに来て3年経ちましたが、これまであからさまな差別を受けたことはありませんでした。それでも、アジア人のわたしをどう思うのだろうと人々の視線が気になり、目に見えないウィルスに加えて、目に見えない人々の感情や意識にも不安を感じました。幸い差別的な態度を取られたことはありませんでしたが、日本人であることを意識させられる出来事でした。

さて、「色彩学校」で研修を終え、3月初旬、予定より少し早くドイツに戻りました。ドイツでも患者数が増え続け、いよいよ他人事ではなくなっていました。わたしの住んでいる州では、3月16日から接触禁止や営業制限の措置がとられ、刻々と町の様子が変わっていきました。レストランや文化・スポーツ施設などはすべて閉鎖され、学校や幼稚園も休校になりました。散歩や必要な運動はできるものの、公の場で3人以上で集うことも禁止となり、人との距離を取ることが呼びかけられました。
もともと日曜大工をする人が多く、この機会にDIYや庭仕事に精を出す人も多かったようです。町の人はルールを守って冷静に行動していましたが、スーパーで自分との距離が近いと声を荒げる人もいて、すこしピリピリした空気を感じ始めました。

対話を重視するドイツ人と、印象的だったメルケル首相の演説

ところで、コロナ禍でさまざまな変化がありましたが、一番驚いたのは人々がマスクを着用するようになったことです。というのも、コロナ以前はマスクをしている人は皆無、販売しているのも見たことがありませんでした。マスクをしていると”怪しい人”に映るため、わたしも着けたことがありませんでした。

これに関して、コラムニストのサンドラ・ヘフェリンさんが “サングラスが失礼な日本、マスクが失礼なドイツ” (引用:『東洋経済ONLINE』2020年4月18日)と、なるほどと思う表現をされていました。コミュニケーションをとる際、日本は「場の空気を読むこと」が重要とされるハイコンテキスト文化なので、「相手の目」がモノを言うけれど、ドイツなどローコンテキストの文化圏では、「会話」が重視されるため「口」が重要というわけです。着用が義務付けられたことによるとはいえ、マスクが受け入れられたことは、とても大きな変化だと思いました。

この「会話」を重視する文化に関しては、3月18日のメルケル首相の演説も印象的でした。現状に対する理解と感謝を示しながら、政治と国民が果たす役割をわかりやすい表現で語りかけるように話していて、感銘を受けました。ドイツで外国人を含めて移民を背景に持つ人は、人口の約4分の1を占めます。多様な文化や考え方があることを前提に、わかり合おうとする姿勢は、明快で心に響きました。

演説と翻訳はこのサイトが参考になります。

コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文

多文化共生を目指すドイツは文化芸術を大切にする

それからもう一つ、メルケル首相とグリュッタース文化大臣の文化芸術に対する演説と声明に触れておきたいと思います。3月11日にグリュッタース文化大臣は、「文化は良いときだけに享受する贅沢なものではない」と、文化や芸術が人々の営みに欠かせないものであると理解を示し、芸術家や文化施設に対する支援をいち早く表明しました。

また、メルケル首相は5月9日の演説のなかで、「(文化や芸術によって)過去をより良く理解し、未来にまったく新しい眼差しを向けることができる」と述べています。背景には、文化産業がドイツ経済の中で重要な位置を占めるということもあると思いますが、第二次世界大戦に向かった過去の歴史に加え、様々なバックグラウンドを持つ人々が共に生きる社会を目指してきたなかで、芸術や文化が大きな役割を果たしてきたからではないかと思います。アートを通して多様な価値観やものの味方というものに目を開かされたわたし自身の経験からも、多文化共生を目指すドイツが文化芸術を重視する姿勢はとても納得できます。

ヒンツェさんのアート活動
ヒンツェさんの作品「絵本」/ワークショップ開催の様子

外出規制で自分の世界に引きこもれて、ほっとした面も……

外出規制の期間は、週1回の食料品の買い出しと花壇の手入れをするとき以外は、ほぼ家のなかで過ごしていました。大病もしたことがないので、こんなに長い期間うちのなかで過ごしたのは初めてです。
長い冬が終わりを告げ、暖かくなって草木が芽吹く季節に、外に出られないのは苦痛だろう思いきや、実はとても気に入って、気分良く過ごしていました。理由は幾つか考えられますが、引きこもっていいお墨付きをもらったようで、気が楽になったことが大きいと思います。

ドイツに来て3年、ドイツ文化だけでなく、中東や東欧やアフリカなどさまざまな文化に揉まれて、自分という存在が揺さぶられる日々でした。また、ここで生きていくために、もっと外に出て人や社会と触れ合わなければという思いが、常に頭の片隅にあった気がします。引きこもるなと自分で自分にプレッシャーをかけていたのかもしれません。こういう気持ちは自分を奮い立たせてもくれますが、度がすぎると疲れるものです。わたしにとっての海外生活は、新しい世界に出会う面白さがある反面、精神的にハードでもありました。コロナ禍によって、図らずも自分の世界に引きこもり煩わしさから逃れるチャンスを得て、ほっとしたのかもしれません。最近、引きこもりにも飽きてきて、外出したり、リアルで友だちと会ったりする意欲が戻ってきました。

夫と義理姉と一緒に。

リアルとバーチャル、身体性と感覚について考える

家族や友人、仕事関係の人とは、オンラインやSNSでやりとりするのがメインになりました。日本の友人とオンラインお茶会をしてみたり、オンラインでお宮参りに参加するなど、物理的距離が関係なくなるオンラインのメリットを存分に享受し楽しみました。ただ、制限が解除されて実際に友人に会ってみると、やっぱり楽しかったですね。実際に会うと、予定外の思いがけないことがおこるおもしろさがあると思いました。会わなくても平気だったのは、きっとどこかで期間限定だと思っていたからでしょう。

リアルで会うことの価値って何だろう、直に触れ合わないことが続くと人にどういう変化が現れるんだろうなど、リアルとバーチャル、身体性と感覚といったことをぼんやり考えていました。

また、仕事面では、アトリエ活動のほかに日本語教師もしていますが、いずれの仕事もすべてオンラインに移行することになり、研修や企画の練り直しに追われました。オンラインでの授業やワークショップは近い将来やりたいと考えていたので、チャレンジする絶好の機会だと思い、嬉々として取り組みました。「色彩学校」もそうですが、変化を前向きに捉える人たちに囲まれていたのは幸運でした。やるべきことがあったことも、不安な状況を支えてくれたと思います。

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