【カナダより】

美術館に行ってアートを見ることはできなくても、身近で美しいものを見出せる感性を

斉藤祝子さん(トロント在住/アーティスト)

画家として長年に渡り創作活動を続けてきた一方、アートセラピストでもある斉藤祝子さん。日頃から家での制作が中心とは言え、この春は日本やドイツでの個展が見送りになってしまったという。

再び動き始めたトロントの街

 トロントも、やっと昨日(6月24日)から「ステージ2」に入り、多くのお店や、業種が再開可能になりました。美容院、理髪店はマスク着用義務の上で、レストランやバーは屋外エリアでの食事、ショッピングモールの営業再開、映画とテレビ番組制作の再開、10人までのツアー、キャンプ場、美術館や博物館、動物園なども、人数や時間制限付きで再開。10人までの親戚、友人などの集まりなども(いずれも2メートルの距離を取って)許可になりました。

3月17日にトロントのあるオンタリオ州が緊急事態宣言を出し、3月23日にはトロント市も非常事態宣言を出して以来、ほぼロックダウン状態が続き、やっと段階的に動き始めたところです。オンタリオ州の公立学校は3月16日に始まった春休みから夏休みまで校内閉鎖で、オンライン授業になっています。一番大変だったのは高齢者施設で、面会ができない中、コロナウィルス による死者も高齢者施設での集団感染によるものが多かったです。

▲ステージ2に入る前の市庁舎前広場。普段は賑やかな場所もほとんど人がいない。

▲自宅近くの公園。ステージ2に入り、規制は厳しいが公共プールもオープンし、人が増えている。

他民族が暮らすカナダでは、保証やケアは平等ですが……

 トロントでは感染した人が非難されるようなことはなく、自己隔離をしなければならなくなった人や家族を、買い物などを通して近所の人やコミュニティーが助けていました。ホームレスの人々は、距離を保てないシェルターで感染が発生したことで、ホテルに移ったりしていました。カナダでも、アジア人が多いバンクーバーで、中国人に対する嫌がらせがあったと、2ヶ月前くらいにニュースで見ましたが、トロントでは多様性が普通になっているからか、コロナ関係で差別的なことはあまり聞きません。

ただし、アメリカから広がった黒人差別反対のデモは、カナダでも大きな動きがあって、今までずっと続いてきた、警察による黒人と先住民に対する差別と不当な扱い(理由なく身分証明書の提示を求められる)に対しては、警察組織そのものを解体しなければいけない、という要求と問題につながっています。Me Too運動の時の様に、今まで黙ってきていた人たちも声を上げ始めています。カナダではアメリカと異なり、保証やケアは平等ですが、やはり黒人や先住民に低所得者が多く、今回のコロナ禍でも、高額所得者は自宅勤務が可能でも、低賃金労働者は、バスや地下鉄に乗って、感染リスクの高い仕事に通わなくてはならないわけです。

▲いつものご近所一周で撮影した街の写真

日本やドイツでの展覧会はキャンセル。高齢の父を見舞うこともできなくて

劇的に生活が変化した多くの人々と比べて、私の日常生活は、ほとんど変わりませんでした。
本来ならこの春は、4月に日本で展覧会をし、5月に日本からドイツに行き展覧会の搬入とオープニングを済ませ、6月初めに日本に戻って父の病院検査に付き添うという予定で、3月18日のトロントから東京へのフライトを予約していたのですが……。毎日刻々と変化していく状況を見ながら、結局日本行きはキャンセルしました。それで トロントから直接ドイツに行くことを考えているうちに、ヨーロッパも感染が広がって行って、ドイツでの展覧会は来年に延期との知らせが入り、ロックダウンと同時にトロントでの予定外の巣ごもり生活が始まったわけです。

普段から仕事の時は一人ですし、集中して製作している時期は、ほぼ引きこもり状態なので、外出できないことは全く苦になりませんでした。トロントは3月4月は、まだ木の芽も出ず、花も無く、日本のこの時期に比べると、外に出ようという気があまりしないのも関係していたかもしれません。今年は特に5月に入っても寒い日が続き、雪も降りました。

▲スミレやタンポポの上に雪が……

でも、カナダから日本のフライトが無くなり、父にもし何かあっても帰国できないということは、ずっと気がかりです。高齢の父をコロナの流行が終息するか、ワクチンができるまで訪問できないかもしれないという現実は厳しいです。

アーティストとしての巣ごもり生活

▲去年ドイツで展示した作品。タイトルは『ライフサイクル』

アーティストとしての活動については、この2ヶ月半に限っていえば、充電期間に当てていたということになります。ちょうど展覧会のための制作を終えたところだったので、これからのために本や資料を読んだり、敢えて何もしない時間を作りました。限られた行動範囲の中で、どんな人間関係や事や物に慰められ、幸福や充足感を得ることができ、新たな価値を見出すことができるか、日々発見があり、考えさせられました。 

3ヶ月以上、自宅という同じ場所にいて、行動半径500メートルくらいという生活をしてみて感じたのは、身近にあって、小さくて、平凡で、シンプルな事やものがもたらす幸福感です。
自分でも驚いたのは、家のバスルームの壁の色(白緑に近い色)や床のタイルの形が、毎日何度見ても飽きないで、嬉しい気持ちになるのです。色彩そのものの持つ力ですが、絵を描くことの原点を再確認させられました。
絵を描く上で普段からいろいろなものをじっくり見たり、目に留める時間は多い方だとは思うのですが、制作をしていない中での、単調な繰り返しの毎日だったので、身に染みて感じた、ということでしょうか。

美術館でアートを見ることも、旅行して美しい風景や建築物を訪れることも、もちろん大事ことですが、それができなくなったときに、美しいものを見出せる感性や、注意力や、好奇心を持ち続けられると良いですね。

アートの役割として、アートを通して直接に社会問題を解決することはできないけれど、アートの持つ多様性、人間の意識を解放して、想像力を養う力は、すべての人があらゆる事をする上で、豊かな基盤となり、日々の生活の中で反映させ、自立性を育むことができると思います。
私自身、創作活動を生活の軸に置いて30年以上やってきたことは、自分の心と身体と精神のバランスを取り、生きていく上での意味と充足感を探し、確かめる上で大きな支えとなっています。

オンラインで行うアートセラピーについて

トロントで実際にオンラインを使ってアートセラピーをやっているところ、またはセラピストは、知りませんが、サイコセラピーはやっています。オンラインでのアートセラピーではまだ例も少ないと思うので、実際のところはどうなのか分かりませんが、もともと言葉を媒介にしないセラピーなので、オンラインの距離感というものがどういう風に作用するのか、個人差があると思います。

サイコセラピーなどでは、同じ部屋にいないことで却って、話し易くなることもありますが、アートの場合、まずは、空間の問題です。アートが生まれてくる空間をクライアントとセラピストが共有するというのはとても大切なことです。画材のセッティングとか、部屋の雰囲気も大事です。小さなスクリーンに写る範囲だけで、いろいろなことを感じ取れるのか、クライアントが、その都度、適切な画材を用意することができるのか。
問題は多いですが、メリットとしては、アートセラピーや、アートクラスを受けたくても、地理的に不可能な人たちにも、可能性が開けることです。全くアートセラピーができない状態よりは、必要な人に提供できる手段としては、ありだと思います。
どちらにしてもこれからは、いろいろなことがオンラインに移行していくのではないでしょうか。

▲武満徹さんの音楽をテーマにしたシリーズからの作品『海へ II』。
武満徹生誕90年の今年、部屋に掛けて楽しんでいる。

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