(特集2の続き)生きるためのアートとの対話

生きるためのアートとの対話
〜1点の絵を観ることから開かれる心の旅〜

アートセラピスト/「色彩学校」主宰
末永 蒼生

※このエッセイは特集2の続きです。特集2から先にお読みください ▶▶▶
※エッセイの最後に、新アート講座(9月スタート)についてのご案内を掲載しています

今回、私たちの共著『色から読みとく絵画—画家たちのアートセラピー』(末永蒼生・江崎泰子共著/亜紀書房)に寄せていただいた感想(特集2に掲載)は、どれも絵の見方に独特の感じ方や多様な解釈が満ちていて響いてくるものがあった。何より観る側の心のうちが深く語られていたからだ。

“本物のアート”ってなんだろう

最近の私自身はといえば、美術館へは足が遠のいている気がする。美術ブームが言われて久しいが、ネット予約やチケット売り場に並ぶ最近の物々しい雰囲気が億劫になっている。
人はなぜ絵を観に行くのだろう。私はそもそも最近とみに高くなった入場料を払うことに微かな違和感を覚える。別に金を惜しむわけではない。料金と引き換えに自分はいま、何を感じようとしているのだろうか。感動だろうか。癒しだろうか。気晴らしだろうか。本物を目撃したいという自己満足だろうか。
そもそも “本物のアート” とは何だろうか? 確かに人は“本物”を求め美術館へと足を向ける。とはいえ一方で美術の贋作事件は絶えない。
果たして、“本物” とは専門家が鑑定した額縁入りのタブローという物質の中に潜んでいるのだろうか。一体、絵の価値とはなんだろう。ゴッホの筆のタッチが科学鑑定によって本物と証明されたから億単位の値がつくのだろうか。

これまでの美術館賞のあり方を転換したい

今回、『色から読みとく絵画—画家たちのアートセラピー』を執筆したのは、これまでの美術鑑賞のあり方を180度転換する絵の見方を伝えられたらと思ったからだ。
私たちが美術館の薄暗い空間で絵を観ながら密かに感じていることはなんだろう。なんとなく伝わってくるゴッホの息遣いだろうか。あるいは短い画家人生を全身全霊で駆け抜けたゴッホの生涯だろうか。それを受け止め喚起される自分の思いが重なっていくときめきかもしれない。

私自身、絵を眺めるということはそこに自らの心の色を重ね描きして眺めていることでもある。同じゴッホの『烏のいる麦畑』を見ても一人ひとり異なった感じ方ができるとはそういうことにほかならない。その瞬間、見る人はゴッホの絵を鏡にしてもう一人の自分から生まれるイメージを心の中で描いてもいるのだ。あたかも心動く小説を読みながら、読者もまた行間に自分の物語を感じ取るように。それは見る人と見られる絵との間の交歓によって湧き上がる心のセッションと言えるかもしれない。

“本物”とは、画家の心と見る側の心の交感の中に

画家たちがキャンバスに向かう時には何より瞬間瞬間を生きるために絵を描いていたことが想像できる。ふと足を止めてしまう絵の前では、私たち自身も心の蓋が開き、生々しい感覚を生きているのではないだろうか。
“本物”とはタブローという目に見える物質の中ではなく、画家の心と見る側の私たちの心の一回性の交感の中にあるのだと感じる。

今回、読後感想を寄せてくださった方々の多彩な “読み” を受け取り気づいたことがある。それは皆さんの言葉によって『色彩から読みとく絵画』にさらに新たな物語が付け加えられていくという面白さだった。アートについての一冊の書物と読者との対話から開かれる未知の心の旅。多くの人に味わってもらえたら望外の喜びだと感じている。

新アート講座、9月スタート!~

2016年から18年にかけて行った「アーティストに学ぶ 新幸福論」から6年! 
さらに深化した新しいアート講座を始めます。
テーマは、「かけがえのない“わたし”の発見 ~人生の答えはアートの中に~」。
末永蒼生・江崎泰子が講師をつとめる、表現&レクチャーのシリーズ講座です。
『色から読みとく絵画』の本が参考テキストになりますが、本書では取り上げていない画家も加え新たな視点を展開。
アートの知識や読み解きに終わるのではなく、画家の生き方や表現を通して、あなた自身の人生のカンバスにこれから描く絵を描くか、見出すきっかけになればと思います。
詳しくはこちら▶▶▶